みなさん、こんにちは。医学部受験 生物特化型オンライン個別指導 BAMBOO BIOLOGY ONLINE(BBO)代表兼講師の小宮竹史です。BBOは医学部生物だけを指導するワンオペ塾(業務遂行はすべて私一人)です。
トップページのプロフィール欄だけでは説明が少なく、私がどのような人間か分かりにくい、最悪怪しい塾かもと誤解されると悲しいので、自己紹介をさせてください。だいぶ長くなりますが、お付き合いいただければ幸いです。
すべて語ると朝になってしまうので、かいつまんで、学生時代から今日にいたるまでのお話をさせていただきます。
- 楽しかった学生時代
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私は大学院で琵琶湖にすむある淡水魚の研究を行っていました。難しくいうと進化生態学という分野の学徒でした。暖かい季節には毎日のようにお隣りの滋賀県にある琵琶湖に車で出かけ、シュノーケリングで魚のサンプリングや観察を行い、寒い季節には研究室でサンプルの計測と解剖、PCRやシーケンスなどの実験、データ解析、論文執筆を行っていました。
野外に出て、生物に触れ自然と戯れることが好きすぎて、またデータ解析の途中での新たな発見に興味が湧いては横道に外れまくったせいで、本筋の論文執筆は滞り、お恥ずかしいことに延長も含め6年間の博士課程のうちに博士号を取得できず、のちに指導教官のお情けでかろうじて博士号をいただきました(科学論文を何本か発表できたのは良い思い出です)。
アカデミアに残って研究を突き詰めたいというぼんやりとした願望はあったのですが、ことはなかなかうまく運びませんでした。 - なぜか生物講師になった
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ひょんなことから、福岡で非常勤の生物講師として働くこととなりました。勤め先は全寮制の医進予備校です(現在は廃業されています)。生徒たちは一つ屋根の下、寝食をともにしながら勉強に邁進していました。ここで初めて医学部受験の厳しさを知ります。いわゆる多浪生が多く、ギラついた眼の生徒たちで教室は危機感に満ち溢れていました。新米講師の私は、これは大変なところに来てしまった、責任重大だと、生徒の熱意に応えるべく、夜遅くまで授業の予習や過去問の研究に追われました。
その予備校は、教職員が本当の家族のように親身になって、生徒の指導や生活のお世話にあたっていました。実にアットホームな雰囲気でした。いよいよ受験本番となると、合否結果に教職員一同で一緒に涙を流すような、あったかい職場でした。勉強を教えるだけでなく、人を育てる。「予備校講師ってええやん。しばらく続けよ。」と思えました。いまも講師としての根っこはこの予備校にあると思っています。
- 怒涛の年月
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仕事に慣れてきた頃、ありがたいことにいろんな医進予備校(個別指導、少人数制など)からオファーをいただくようになりました。大手予備校の募集に挑み、運よく採用に至ったのもこの頃です(大手は半期に一度生徒アンケートがあり、心が休まることがなかったですが、幸い良い評価をもらえました。諸事情あり数年前に辞めました)。
「需要があるうちが花」、「頼まれた仕事は断らない」という謎の強がりのせいで、スケジュールは埋まりに埋まり、いくつかの予備校では教科主任を拝命し、あまりの忙しさに頭がイカれて寝ていても夢の中で授業をしているような毎日が続きました。体力的には本当に大変でしたが、さまざまな予備校で働き、多くの生徒と出会い、各種模試や解答速報の作成に携わり、偉い先生たちと議論を交わしたりしたおかげで講師として大きく成長できたと思います。出会いって大切ですね。 - B郎のこと
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横道に逸れますが、私の講師人生の中でもっとも強烈だった生徒について書かせてください。B郎(男性、仮名)です。
生粋の医者のボンボン(言い方!)で、人懐こい性格でかわいいのですが、医学部受験を舐め切って遊び回り、真剣に受験勉強に向き合わない厄介な生徒でした。悪行の小権化。「こんな奴が医者になったらいかんやろ」と誰もが思うような。彼の生物の個別指導を長らく担当していた私も、懺悔を込めて告白させてください、当初、表面上は応援するようなことを言っておきながら、どこかで周囲と同じように彼を扱っていたように思います(B郎、すまん)。
そんなB郎ですが、多浪を重ねてついには親御さんと衝突するようになり、大喧嘩の末「今年が最後」と通達されたのです。それでようやく心に火がついたのでしょう、授業を真面目に聴くようになり、自分から問題集を解いて質問に来るようになりました。表情も大人のそれになりました。それまで「教えて貰えばいつか受かるだろう」と完全に受け身だったのが、初めて自主的に勉強に取り組むようになったのです。この頃の彼の口癖は「人生かかってるんで」でした。受験生としては当たり前の態度ですが、彼がここに至ったこと自体が驚くべきことでした。
こうなると現金なもので、教えているこちらも当事者意識がふつふつと湧いてきます。「こいつを医学部に受からせたい」と心底思うようになりました。授業の内容は次第に濃くなり、勉強量も相当なものになりました。模試の成績も飛躍的に伸び、私立の一次合格が来るまでに力がつきました。いきおい、本人のモチベーションは最高潮に達します。何度目かの「今年が最後」(ほんと親はやさしい)の後、彼は見事に医学部の合格を勝ち取りました。親御さんもさぞかしお喜びだっただろうと推察します。
B郎から私が教えてもらったことは、「人間は強い決意によって変われる」ということです。心構え、行動、習慣、学力、そして結果のすべては本人の決意次第なのです。生まれ持った能力はさほど問題ではありません。医学部に行くという強い決意さえあれば、未来は違ったものになる。彼のおかげで、諦めなければ、どんな生徒でも医学部に合格できると断言できます。医学部受験は人生を一変させる、険しいが挑む価値のある山だと思います。 - オンライン個別指導をやる!
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ひょんなことから始まり、なんとなく続けてきた予備校講師稼業ですが、ここまでくると立派に天職のように思えます。それなりに人様のお役に立てているのは、お恥ずかしくもありがたく、誇らしいことです。これまで大人数の集団授業、少人数制授業、個別授業などさまざまな指導形態を経験してきて、どのような形態でも指導することに自信はあります。どの授業も楽しいですしね。
一方で、生徒とのつながりが強く、自由度が高く、いちばん自分らしく指導に当たることができる、個別指導を主軸にした私塾をやりたいとずっと考えてきました。いろいろな縛りがある予備校では不可能な、私が理想と思える授業を提供したい、と。自由な分だけ責任が伴うことは、重々承知の上です。
「は?ワンオペ?舐めてんの?」と笑われるかもしれません。まぁ、ふつうに前途多難でしょう。しかし、念願だったオンライン個別指導をついに始めます。どんな生徒さんと出会えるのか、どこまで一緒に成長できるか、楽しみで仕方がありません。
以下、宣言文です。私は生物科の講師として15年にわたって医学部受験に携わり、たくさんの生徒と出会い、戦い、苦楽をともにしてきました。
たゆまぬ努力の末に医学部合格を果たし、医師となって働く教え子たちを見るにつけ、自分の内に湧き上がる「新たな何かに挑戦したい」という気持ちを抑えることができず、このたび、医学部受験生物を指導する当塾の立ち上げを決意しました。
医学部合格を目指す日本全国の生徒のみなさん、医学部受験は険しい山の頂に挑むようなものです。道中では経験豊富で優秀なシェルパ(ガイド)が必要です。これまで私が培った、生物の知識と解法のノウハウ、すべてをもって全力で指導にあたらせていただきます。ぜひ、一緒に頂を目指しましょう。
2025年 春
BBO代表兼講師 小宮竹史
最後までお読みいただき、ありがとうございます。